#49 塩沢淳子さん
淳子さんに初めて会った人は、
淳子さんの優しい丸顔から
おっとりとした方という印象を受けるかもしれません。
いつもニコニコとした淳子さんは
私には、少女のような人という初対面の印象でした。
とにかく笑顔を絶やさない人だなあと思いました。
お話をしていると、
ニコニコで、控え目な中に、
長年レポーターとして鍛えた凛とした声、
世界50か国も回って
ルーマニアでエイズと闘う子供たちの取材をするなど、
報道の世界に生きてきたジャーナリストの経歴、
プロとしての自信と実績を感じます。
喘息の持病のあった一人娘の健康のために
夫婦で空気のよいハワイに移住をした
というお話を聞いた時は、
決断力と実行力もある人なのだなと思いました。
ハワイではご主人とともに
HAWAII WEB TVという映像制作会社を設立、
今まで報道部門で培った能力を生かし、
日本の国外でも、
日本人のために活躍して来た女性だと知りました。
私が淳子さんにお会いしたのは、かれこれ一年ほど前。
ハワイの「みんなのケアネットワーク」
という日本人支援互助グループ立ち上げの
初回のミーティングでの事でした。
一人暮らしのご老人たち、
ハワイで老いて病気になり、
亡くなっていく
主に日本人女性の支援をしたいと
集まった人達の中で、
淳子さんは控え目に、
でもはっきりとこう発言しました。
「支援が必要なのは、
ご老人ばかりではありません。
我が家のように難病を抱えた家族も
障害者も、若い人も、支援が必要です」
「難病?」と私はちょっと耳をそばだてました。
その難病というのが、
『脊髄小脳変性症』という難しい病気だと知ったのは
もっと後になってからです。
その時は、聞いたこともない病気で、
「難病を抱えた家族」というのが
あまりピンときませんでした。
『脊髄小脳変性症』は、運動などをコントロールする
小脳や脳幹が、だんだん萎縮していってしまうという
進行性の病気だそうです。
足がふらつく、
歩くと転んでしまうと
いうような初期の症状から、
次第に、
立つことができない、
話すことがだんだん困難になる、
食べ物を飲み込めない嚥下障害が出る、
言語障害、排尿の障害。
生きながら、
徐々に普通の事をする能力が
むしばまれていくという残酷な病気。
ハワイ移動後、
喘息が治ったのもつかの間、
娘のクリちゃんにはてんかん発作が頻発、
そして、
淳子さん夫婦の愛娘の病名がわかったのは
今から十年前の2008年、
13歳の時でした。
昨日できていた事が
今日はできなくなる、
子供の成長を楽しみにする親たちにとって、
成長とは、全く逆の、
正反対の事が起こる。
それを目の前に突き付けられる毎日。
どんなに苦しく、葛藤があった事でしょう。
同時にご主人の千秋さんも同じ病気と診断されました。
若いクリちゃんに比べ、
年齢が上のご主人は病気の進行が穏やかとはいえ、
一家を襲った信じられない衝撃でした。
この病気は遺伝性の病気だったのです。
夫と娘が同じ病気になってしまったなんて。
数年前のTBSのインタビューに応えて、
淳子さんはその時の衝撃をこんな風に言っています。
「人生が、ポキンと折れた感じでした」
クリちゃんの運動能力や知的な能力が次第に衰えていくのを
毎日見つめ、ケアをしている事の辛さは
母親として、口では言えない辛さだったと思います。
しかし、それ以上に、
頼りにしてきた二人三脚のパートナーのご主人の、
病気による作用で
人格までが変わってしまうという試練。
大好きなご主人が
わけもなく怒りっぽくなる、
淳子さんに手を上げる
などという変化は、
淳子さんの心を引き裂くような辛さだったでしょう。
他人には想像もつかない
心が張り裂けそうな
毎日であった事と想像します。
あれから、9年、
頑張りぬいたご主人の千秋さんが
2017年の夏の日に壮絶な闘いを闘いぬいて
逝きました。
つらいつらい道行きでした。
病に侵された体で、
精いっぱいの精神力で
愛する妻と娘を守りぬいた千秋さんでした。
私が「死の体験瞑想」というワークショップを時々開催している事は
何度かこのメルマガでもお伝えしました。
12月の末、このワークショップに
淳子さんが参加してくださいました。
そこで、淳子さんがこう言いました。
「大好きな夫に会えるのかな」と思って。
想像の中の「死」とは言え、
亡くなったご両親など大切な人が
瞑想中に思考の中に出てきて、
「会えた」体験をする人もいるようです、
という説明があったからでしょうか。
でも、瞑想の後、
淳子さんはこう言い直しました。
「あっちに行っている千秋さんに会いたいなって、
勿論、思いました。
でも、ダメダメ、私はまだ会いに行けないって。
あっちで千秋さんが、
私たちを守ってくれているんだから、
クリも頑張っているんだから、
私はこっちで頑張らなくちゃって。
クリが一日でも、
一瞬でも笑う時間が過ごせるんだから、
私はこの娘を置いて
一人ではいけないって。」
日本でも塩沢淳子さん一家の闘病の有様は
「ママは絶対負けない」という題で報道されており
youTubeで何本か見る事が出来ます。
「難病と闘う娘を一人で支えるママ」と描かれた淳子さん。
一家を支援して友人たちが
この難病の理解を深めてもらおうと
募金活動などもしてくれました。
勿論きれいごとばかりではない毎日。
恨みも、葛藤も、疲労困憊も、
泣くなんて日常茶飯事。
一人の時間なんてほとんどない毎日が
何年も。何年も。
淳子さんは、毎日の進捗を
写真で、映像で伝えます。
「ママは強くなりたい」と題されたブログは、
ハワイの言葉で家族という意味の「OHANA」
という名前の本にもなりました。
「塩沢淳子オフィシャルブログ」
https://ameblo.jp/junko-shiozawa/
治療薬ができるまで、
奇跡が起こるまで
免疫力を維持する、
元気さをとどめておく、
クリちゃんを少しでもハッピーにする。
そして
「反撃はこれから」と言っていた淳子さん。
今は、クリちゃんとの一日一日を
大切にしたいと言います。
「頑張るしかないですよね」
「大変なことがいっぱいあっても、
その中で幸せになるって信じてます」
悔しくて泣いている時ですら
丸い笑顔が、そのやさしさを
隠せないでいる女性。
やさしさそのものが
強さである女性。
私はキリスト教徒ではありませんが、
ハワイで生きる塩沢淳子さんにお会いして、
二ーバーの祈りを思い出しました。
二ーバーの祈り(Serenity Prayer)は、
私たちに素晴らしい知恵を与えてくれる祈りです。
お聞きになった方も多くいらっしゃることでしょう。
『神よ、
変えることのできるものについて、
それを変えるだけの勇気をわれらに与えたまえ。
変えることのできないものについては、
それを受けいれるだけの冷静さを与えたまえ。
そして、
変えることのできるものと、変えることのできないものとを、
識別する知恵を与えたまえ。』
二ーバーの祈り(大木英夫訳)
「天は解決できない問題をお与えにならない」
という意味も含めたこの祈り。
この祈りは、
想像を絶するチャレンジの中で、
「頑張るしかないですよね」と
微笑みを絶やさない
淳子さんのような女性の事を
言っているのではないかと
と思うのです。
今回は、ハワイに生きる塩沢淳子さんを
ご紹介させていただきました。