#88 大地が見ているよ

「むかしむかし、
太古の昔、
神は最初の人間を
お作りになりました。
体に手足を付け、
頭に頭髪をのせ、
丈夫な皮膚で体を覆いました。
そして大きな美しい樹の下に
この最初の人間を住まわせました。」
インドネシアとオーストラリアのそば、
環太平洋の一部に属する
東チモールという
人口100万人強の
小さな島国に伝わる神話です。
「もう少しで完成という時、
神は人間のおなかを
コチョコチョとくすぐりました。
最初の人間は大笑いをして
素晴らしい笑顔ができました。
これで、完成です。
だからチモールに暮らす人々は
笑顔を忘れた事がないのです」
このお話は、
インドネシア軍事統制下で
東チモールが受けた苦しみを、
島の人達の視点から
「カンタ、チモール」
という映画にした監督の
広田奈津子さんが
してくださったお話です。
24年間に及ぶインドネシア軍事統制で
住民の3人に一人が殺害され、
民家の9割もが破壊された場所で、
何故東チモールの人々が
こぼれるような笑顔を
保っていられるのか。
その問いに広田さんが
住民から聴いた神話を
シェアしてくれたのです。
東チモール独立は2002年、
独立式典のコンサートで
広田さんが
聴いた一つの歌がありました。
言葉の意味も分からない、
素朴な、
でも、
心にしみるメロディーでした。
映画製作の経験も
バックグラウンドも
スポンサーもない日本女性が、
その歌と、
その歌をギターで奏でる一人の青年と、
チモールの子供たちの笑顔を
追っているうちに、
出来上がったドキュメンタリー映画です。
23歳だった広田さんが
チモールに通って8年かけて
コツコツと作り上げました。
広田さんは子供の頃
深く愛した森林の伐採に
強くショックを受けました。
しかし、大学生の時カナダで会った
先住民のお爺さんが、
「泣くことはないよ。
太平洋の周りに
大地を母とする家族がいるから、
会いに行きなさい」
と言ってくれたことで、
自分の使命を感じます。
会いに行こう、
その「家族」達に。
そして、カナダからハワイ
先住民たちの智慧を学ぶ旅。
アニミズム、
シャーマニズム
老人への尊敬、
自然との繋がり、
私たち日本人も昔は大切にしていた
昔からの智慧を
いたるところで学ぶ事ができました。
その歌い手の青年アレックス君は、
子供の頃
家族を虐殺されるという背景を
持った青年でした。
彼の仲間も、村の人達も
インドネシア兵の
暴力を、虐待を、拷問を
そこからの悲劇を
受けなかった人は
東チモールには1人もいません。
日本や米国、豪州はその間
東チモール沖の油田資源を確保するため、
国連での東チモールの
インドネシアからの独立決議に
反対票を投じています。
大国にとっては
インドネシアが統治をしていた方が
安価な石油に
アクセスしやすいからです。
インドネシアは
私たちの政府からの支援金で
東チモールの人々を
弾圧してきたことになります。
アメリカや日本で
安いガソリンを買っていた私も、
知らなかったこととはいえ、
搾取の恩恵に
どっぷりとあずかっていたわけです。
若い頃、
インドネシアのスラバヤという商業都市で
ひと夏を過ごした事がある私は、
インドネシアが
かつてはオランダやポルトガル、
時代が下って中国の華僑から
政治的、経済的、宗教的
抑圧を受けた事は聞きかじっていました。
しかし、
抑圧を受けたインドネシアが、
反対に、隣国の小国東チモールを
残虐に抑圧していたことについては、
この映画に出会うまで
ほとんど無知でした。
アレックス君のような青年たちは
ゲリラとなって
抑圧軍に抵抗します。
近代的な武器で武装した兵隊たちに
闇にかくれ、
ゲリラの抵抗は続きました。
インドネシア政府はあっという間に
抑圧できると思っていた
24年間も抵抗し続けた
東チモールに手を焼きます。
ゲリラ兵たちは
インドネシア兵を捕獲すると
拷問や暴力をふるうのではなく、
その数時間前に仲間を殺害した兵隊に、
食事を与え、寝場所を与え、
こんこんと言葉で説得し
最後には解放したのだそうです。
下級インドネシア兵もまた
貧村出身の青年たちであり、
麻薬によって攻撃性をあおられた
人々であった事を知っていたからです。
ゲリラ兵のキャンプに
近代兵器や爆弾は不足していても
変わらずあった物があります。
自分の故郷を守る強い郷土愛、
大地への尊敬と自然との繋がり
そしてアレックス君のような
歌声と笑顔でした。
解放されて戻っていった
インドネシア兵は
次第に東チモールへの同士感を
感じていきます。
自分達を苦しめた兵士たちと
食事を共有するゲリラ達。
歌や踊りを共有する村人達。
兵器ではなく、
心と忍耐と許しで「兄弟」達と
繋ぎ合った微笑みの東チモール人たち。
24年間の後、何万人もの犠牲の後、
インドネシアからも
東チモールを独立させよという
世論が強く上がります。
国連からの外圧もあってついに
東チモール共和国が設立します。
東チモールの苦しみは
長い植民地主義が残した
醜い傷跡でした。
独立を果たした東チモールとは言っても、
人々の悲しみは消えるわけがありません。
銃弾や刺し傷は何とか癒えても、
心の傷は消えないのです。
悲しい、
殺された8人の弟たち、
たぶん海に捨てられた兄弟たち、
骨のひとかけらも
弔ってやれない。
悲しい。
26年前から行方不明の夫を
まだ待っているのよ、私。
悲しい。
レイプされても子供たちがいるから
私は死ねなかった
悲しい。
息子が死刑になったというラジオのニュースを
この耳で聞いたんだ。
悲しい。
脚本もなく、演出もなく
やらせもなく、
とにかく巡り会った人々の悲しみと
同時に、こぼれるような笑顔と
歌とストーリーを撮り続けた
広田さんと相棒の小向定さん。
映画の中で村の道を
通りすがりのお爺さんが
杖を突きながら
広田さんに聴きます。
「お前さん、幾つだい?」
「25歳です」
「はああ、子供だな」
白顎髭のおじいさんは陽に焼けた
くしゃくしゃの笑顔で言います。
おじいさんも家族を失い、
家を焼かれた人でした。
孫とみられる子供たちがそばで
カメラを珍しそうに見て
笑っています。
おじいさんが広田さんに向かって言います。
怒りなどない、もう怒りなど。
日本、インドネシア、ティモール
みな同じなんだよ。
人類はひとつの兄弟なのさ。
父もひとり、母もひとり、
大地の子ども 憎んじゃだめさ、
叩いちゃだめ 戦争は過ちだ、
大地が怒るよ。
広田さんの心をわしづかみにした
アレックス君の歌も、
同じメッセージを歌にしていたのでした。
「ねぇ、みんな、ねぇ、大人たち。
僕らのあやまちを
大地は見ているよ」
広田さんはチモールの言葉について
教えてくれました。
ちょうどハワイの言葉のように
一つの言葉に
いろいろな意味がある言語
なのだそうです。
「チモールの言葉で
『あなた』は『私達』と同じなんです。
だから、例えば
『これが私達の家です』って見せてくれる時
『これがあなたの家です』に
なっちゃうわけです」
アレックス君は
「僕たちの過ちを大地は見ているよ」と
歌います。
それは
「アナタの過ち」という事なのです。
私の過ちは、また私達の過ちなのです。
無知であり、
自分の生活のみに目を向けて
大地の声を聴くことを忘れてしまった私達。
人々の苦しみや悲しみを
自分には関係ない事と
見ないふりをしている
「私自身」の過ちなのです。
大地はちゃんと見ているのです。

カンタチモール、広田奈津子映画監督