#91 トークストーリー
「おはよう、早いね」
「おはよう、フィッシングかい?」
「いや、今朝はちょっとね」
「そうか、僕はダイヤモンドヘッドまで」
「サーフィンだね、今日も波がいいようだ」
サーフボードや釣り竿を
トラックによいっしょと乗せながら
ローカルの男性同士が
こんな会話を交わしていました。
“トークストーリー”
ハワイのローカル英語です。
ビーチのテントで
親戚のおばさんのガレージで
学校のキャンパスや
仕事場のコーヒールームで
ハワイの人達は
「トークストーリー」を大切にします。
誰がが入院した、
車の修理にいくらかかった、
何とかさんの息子はメインランドの
大学に入学できた、
どこどこのプレートランチは
オーナーが変わった
ちょっとした挨拶から、
何でもない四方山話は
ハワイのあちこちで
毎日交わされています。
今朝見た二人の男性の1人、
釣りに行く様子なのは
一目瞭然のおじさんですが、
「釣りに行く」とは言わないし、
それを聞いたやや若い方の
サーファーも
したり顔で聴いたりもしません。
ハワイの人は、
人との繋がり、結びつきの原点である
トークストーリーを大切にする一方、
言葉が持つパワーも信じています。
釣りに行くよ
なんて言ってしまったら、
海の魚たちに聞こえて
警戒させてしまう、
海の生命を少~し頂くのだから
なるべく平安を
崩さないようにしなければ。
「波が今一つだ」なんて言ってしまったら、
鮫の神、カモホライイが
機嫌を損ねるだろう。
海や山や風や虹への
こんな気遣いをしながら、
人間たちの生活の
トークストーリーを
大切にするハワイの文化。
ハワイに来たばかりの頃、
ローカル達がこうしてのんびりと
話し込んでいるのを見て、
おやおや、
これがハワイタイム、
これでは何事も時間通り
終わらないわけだ、と
と思ったことを覚えています。
忙しい東京から来たばかりの
20代の頃のことです。
レストランの人も
工事の人も
警察官まで
ニコニコとゆったりと
トークストーリーが多い。
オアフ島でもそうですが、
他島に行くともっと多い。
庭にできたマンゴやパパイヤを
腕いっぱい抱えて、
近所のおばさんがトークストーリーに
やってきます。
日本でいう立ち話とは
似て非なるもの、
近所同士、同僚同士、
自然や家族や周りを巻き込んで
皆がトークストーリー、
ハワイの人達の大切な
結びつきの方法だったのです。
でも、若い頃の私は、
のんびり、たらーりの
ローカルカルチャーに
今一つ満足できず、
「私は幸福を追求するのだ!」
と息巻いて、
アメリカ本土、アジアへと
島出をしてしました。
ハワイがのんびり過ぎて、
何だか物足らなかったのです。
アメリカでも良い大学を出て、
アメリカでも良い仕事について
アメリカでも良い伴侶を見つけ
アメリカでも良い家庭を持って
幸福な成功した暮らしをするのだと。
育った時代と田舎の家庭環境で
学校を出る事ができなかった
日本の父はいつも
「大学を出ていないから」
と、言い暮らしておりました。
高度成長の時代の
サラリーマンにとって
大学を出ていない事は
どんなに優秀でも
出世コースからの脱落を
意味していました。
私はその父の言葉を真に受けて
大学さえ出れば成功できるはず、
そうすれば幸福が手に入るはず、
幸福とは「大学を出る事」と
無意識に思い込んでしまって
いたようです。
それから何十年もかけて
大学二つ、大学院三つ
リサイクルできるほど次々と
学位を取りまくってしまった私。
外国に暮らし、
良き伴侶とみられた男性を見つけ
高級住宅地に家を買い、
良き家庭と見える家庭を築き、
最後に気が付くと、
虚しさと不平ばかりの生活に
暮らしておりました。
一時は発展途上国に暮らす機会にも
恵まれ、あっという間に
にわかリッチにもなりました。
為替レートのおかげで、
買いたいモノはなんでも
価格さえ見ずに
買えてしまう生活も手に入れました。
私は幸福になったでしょうか?
答は、ノーです。
あれがない、
これが気に食わない。
この人が嫌、
あれもだめ。
もっとどこかに幸福があるはず。
本当に人生ってこれだけなんだろうか?
人間の幸福追求を研究している
心理学者のエミリー・スミス先生は、
「人は幸福を追求している限り
本当の意味の幸せにはなれないものだ」と
言います。
幸せの青い鳥を探し続ける
私たちは、結局のところ、
自分の今持つ幸せを
味わえていない事になります。
幸福を追求しないなら、
私たちにとって
一体何が大切なのでしょうか。
スミス先生はこんな風に言います。
幸福を追求するのではなく、
生きがいを持つことだ、と。
生きがいがあれば
幸福はおのずとやってくる。
「生きがい」とは。
生きていく張り合い、
生きる意味でしょうか。
根源的哲学的意味も持つ言葉です。
大切な事は、
何となく幸せになりたいなあと
生きるという事ではなく、
生きるという事を
積極的に意識し、
毎日の中の実感としてとらえる事
なのだそうです。
ライフコーチをしていると
人生の上で何等かの危機が訪れないと
生きがいについて
また生きる意味について
あまり考えなかったという人が多い事に
気が付きます。
私もそうでした。
スミス先生は
生きがいは4つの柱からなるもの
だと説明してくれます。
一つは、人と人との結びつき
一つは、目的を持つこと
一つは、自分以上の何かへの超越を意識すること、
そして最後の一つは、
自分の真実の物語を語る
ストーリーテリングがある事
スミス先生のこの話を聞いた時
私はハワイの事を思いました。
ハワイの人々の在り方が、
まさに例えば
トークストーリーが、
自然と環境を自分を超越したものとして
意識する生き方が、
他人にアロハを広める事が、
ハワイの島々に暮らす人々の
生きがいにつながっていると
思ったのです。
だから、皆こんなに
ニコニコしているのかしらん。
隣人とのトークストーリ―において
ハワイの人々は
人と人との結びつきや
自然という人間以上のモノとの超越を
日常的に意識していると
感じます。
若い頃の私は
それに気が付くことができず、
のんびりと
自分の話をするローカルの人々を
半分呆れて眺めていたのです。
トークストーリーによって
自分の物語を
自分の声で語る事ができると
相手の物語にも心から耳を傾ける事が
出来るようになります。
そして、
人々同士の結びつきを
実感する事が出来ます。
何をやりたいか
何を貫徹したいか
という短絡的目的志向から、
何を与える事ができるか
どうやって人や自然とコネクトできるか
という風に
自然に変わっていきます。
それは、スミス先生が言う
自分以上の何かと繋がっているという
「超越」の何かをいつも感じる
機会があるという事です。
アメリカのネイティブのインディアン達も
ハワイの人と同じように
彼らのトークストーリーを残しています。
チェロキー族にこんな言い伝えがあるそうです。
生まれた時、君は泣き、世界が笑ったね。
だから、死ぬ時は
君は笑い、世界がなく人生を生きなさい。