♯68 夜霧のかなた

ヴィクトール・フランクル博士の
世界的に有名な著作
「夜と霧(Nacht und Nebel)」の題名は、
ヒトラーが愛聴したという
ワグナーのオペラにある
「夜と霧になれ、
誰の目にも触れないように」
という文言から取られたそうです。
ナチスドイツの治安を
脅かす危険人物を、
闇にまみれて抹殺する総統命令は、
1941年に発せられ
始めは政治犯が、
後には同性愛者、ユダヤ系、
ジプシーなどが対象となりました。
彼らは、
夜中に捕縛、尋問され
速やかに強制収容所に連行後、
うむもなく処刑されたといいます。
労働に向いている
少数だけが残されました。
彼らの行方や命運は、
家族にも誰にも知らされることはなく
跡形もなく消し去ったのです。
ヒトラーの思惑通り
邪魔者は
「誰の目に触れることなく」
夜と霧に紛れて、完全に
消滅してしまいました。
精神科医、心理学者であった
フランクル博士は、
ユダヤ系オーストリア人であった事から
ウィーンの精神病院での地位を解かれ、
1944年、悪名高い
アウシュビッツ収容所に連行されました。
アメリカ亡命のビザが
入手できたにもかかわらず、
老いた両親を
危険な祖国に置き去る事はせず、
留まったための結果でした。
フランクル博士の家族は
父母も兄弟も死亡。
9か月前に結婚したばかりの
新妻も収容所で
その若い命を亡くしています。
早朝5時に起床後、
ろくに食事も与えられない状況で
凍える寒さと湿った衣服のまま
直立不動の姿勢を
何時間も
強いられたユダヤ人たち。
つねに飢餓、死の恐怖にさらされ、
極寒で12時間の野外労働の強制、
役に立たなくなると
次々と拷問、銃殺、
果てはガス室の
犠牲となった人々。
フランクル博士は
強制収容所から奇跡的に生還し、
「夜と霧(英語名:Man’s Search for Meaning)」
として一心理学者としての体験を
発表しました。
人間性を否定され、
未来の全くない極限状況の
ただ中で、
フランクル博士は
たとえ人間としてあり得ない環境であっても
「苦しみや死には意味がある」
という結論に達します。
同書は、21世紀を伝える貴重な一冊とされ
世界で1000万部も
読まれているそうです。
若い頃、この本を読んで、
ナチスドイツのサディズムの極限に
激しいショックを受け、
人間の残虐さを象徴した
「夜と霧」という邦題名にも
強い印象を受けた事を覚えています。
時が立ち、心理学を学び
ライフコーチになって
読み返してみて、
フランクル博士が伝えたかった事は、
決して、夜と霧の暗黒だけではなかったと
気が付きました。
家族から引き離され
富も名声も、
権力も、虚栄も野心も
全てが抜け落ちた極限状況の人間が、
そうした本質ではないものから
「裸の実存」になった時、
初めて人間として
どう行動をするかを、
そして
その決定の選択肢は
個々にある事を、
フランクル博士は
伝えたかったのではないかと
思いました。
人生の時を過ごしてくると
転機を経て、
大小の苦悩を経験して生きています。
苦悩が存在する時
何故自分は
こんな思いをしなくてはいけないのか
と問い、
その痛みからなんとか
自分を回避させようともがきます。
しかし、振り返ってみると、
転機を受け止め
苦悩から逃げ出さなかった時、
人間としての
内面的成熟があった事に
気が付くことが多くはなかったでしょうか。
そこには人生の新たな意味を
見つける新しい芽が
芽生えたのではないでしょうか。
非人間的な日常の
強制収容所の中の生活に
こんな逸話が残されていました。
何百何千もの捕らわれの人々が
骸骨のような体で、
脚を引きずり、呻きながら
行進していました。
その彼らの通り路の
コンクリートの片隅に
早い春の兆しのような
一輪の雑草の花が
咲いていました。
申し合わせたように囚人たちは、
その花を踏まないように
労わり避けて歩いて行ったそうです。
収容所に入れられた人々は
始めとてつもないショックを感じます。
しかし周りで残虐な殺戮が行われ
それに慣れてくると
自分が生存するための要因
―暖房、食事、より軽い労働以外には
無関心となると、博士は観察しました。
そんな中で、たった一輪の花に向けられた
何千人もの人々の小さな労わり、希望。
一抹でも「希望」のかけらがあり、
例えば、愛する人に再会できるという
目標があったから
生き延びられた人達がいた
と博士は報告します。
その一輪の花が象徴していたのは、
希望であり、
あえて希望を選んだ人間としての
決定であったのだと
博士は言うのです。
苦悩に正面衝突する時、
どう振る舞うか、
何をしうるかは
未来に必ずやって来る死、
過去に積み重なった不幸など
変える事の出来ない部分ではなく、
今現在、
今この時に与えられた
生きる事の問いに
どういう態度で答えるかーー
それにかかっていると
夜と霧の作者は伝えようとしたのだと思いました。
「苦しみ悩むのが人間なのではない。
苦しみ悩むからこそ、人間なのだ」
「絶望とは、
もうすぐ新しい自分、
もうすぐ希望が生まれるという
前兆なのだ」
フランクル博士の言葉です。
夜と霧に紛れて
絶え果てたかのように見えた
絶望のドン底の人々は、
その彼方に希望は厳として
存在すると博士は言います。
収容所の灰色の
コンクリの隙間に根を生やし
人々の慈しみの明かりをともした
一輪の野の花のように、
「夜と霧」の彼方にあるものは、
生きる事を選んだ人々への
人生の謳歌そのものなのではないかと
思うのです。