#66 それでもなお
高校生だったケント君が、
ハワイ州の公立高校卒業後
ボストンの有名校
ハーバード大学に進んだのは、
学生運動真っ盛りの60年代でした。
父親が米海兵隊勤務であった事から
ニューヨーク生まれのケント君も、
小さい頃から故郷を出て
バージニア州、ロードアイランド州、
ネバダ州、カリフォルニア州と
点々と移動して育ちました。
中学からホノルルの公立校に通い、
地元ルーズベルト高校では
学生会長になったケント君、
高校生たちが協力して設立運営した
「ハワイ学生リーダーシップ協会」の
協会長も務めました。
何と言われようと理想は高く持つ
という家庭で育った彼は、
社会意識と学生リーダーシップに
高い関心を持つ青年に成長しました。
大学に進んでからは、
大人たちの無理解や
社会の変化の緩慢さに
学生運動をしている仲間たちが
次々と去っていくのを見ました。
理想が高い若者たちが
自分達の声の反映させ方をよく知らず
失望、挫折してしまうことが
とても多かったのです。
そこで、ケント君は
若者たちも、
システムを理解すればきっと
社会をよくできると、
若者同士でわかる言語で
呼びかける運動を始めます。
高校を回ってスピーチをしたり
高校生のために小冊子を書いて
発行したりしました。
19歳のケント青年は
同年代の若者たちに
自分にできる精いっぱいのやり方で
チャレンジの言葉を投げかけました。
「自分中心に変えようとしてもダメだ、
まず人を愛するっていう
基本的スタンスからやらなければ。」
ケント君の理想を込めた小冊子は、
いろいろな高校に送られました。
高校の校長先生が率先して
配ってくれた所もありました。
もう、50年以上も前の事です。
ケント君はその後弁護士の資格をとり
オックスフォード大学に留学、
日本の早稲田大学に留学をしたこともあり、
教育者、行政高官としての道を歩みました。
それから何十年、
ハワイに戻ったケント・キース博士は
ある集まりで
マザーテレサが残したという詩の朗読を
聞く機会がありました。
ちょうどその数週間前に
ノーベル平和賞受賞者の
マザーテレサが死去したことを悼んで、
その会の主催者が黙禱をささげた後に、
読み上げた詩でした。
その詩を聞きながらキース博士は
ハッとしました。
どこかで聞いた事がある詩なのです。
その詩は、マザーテレサが活動していた
インドの孤児たちの家の
壁に貼ってあった詩で
マザーテレサの作ったものらしい
という事でした。
カルカッタの貧民窟にあった
マザーテレサのチルドレンズホームに
掲げられた詩は、
そこに働く
世界中からの宗教家やボランティアたちが
毎日目にする活動の目標になっていたのでした。
その短い詩はこんな風に始まります。
1.人は不合理でわからず屋でわがままな存在だ。
それでもなお、人を愛しなさい。Love them anyway.
2.何か善い事をすれば
隠された利己的な動機があるはずだと、人に責められるだろう
それでもなお、善い事をしなさい。Do good anyway
3.成功すれば、嘘の友達と本物の敵を得る事になる。
それでもなお、成功しなさい。Succeed anyway
4.今日の善行は、明日になれば忘れられてしまうだろう。
それでもなお、善い事をしなさい。Do good anyway
5.正直で素直な在り方は、貴方を無防備にするだろう。
それでもなお、正直で素直な貴方でいなさい。Be honest and frank anyway
6.最も大きな考えを持った最も大きな男女は、
最も小さな心を持った最も小さな男女によって
撃ち落されるかもしれない。
それでもなお、大きな考えを持ちなさい。Think big anyway
7.人は弱者をひいきにはするが、
勝者の後にしかついて行かない。
それでもなお、弱者のために戦いなさい。Fight for a few underdogs anyway
8.何年もかけて築いたものが
一夜にして崩れ去るかもしれない。
それでもなお、築き上げなさい。Build anyway
9.人が本当に助けを必要としていても、
実際に助けの手を差し伸べると
攻撃されるかもしれない。
それでもなお、人を助けなさい。Help people anyway
10.世界のために最善を尽くしても、
その見返りに、
ひどい仕打ちを受けるかもしれない。
それでもなお、
世界のために最善を尽くしなさい。Give the world the best you have anyway
(原文英語、大内博訳)
それは50年前、
確かにケント君が、
地元や全米の高校に配った
小冊子の
第二章中に書きこんだものでした。
モーゼの十戒をもじって
「逆説の十戒」と呼びました。
インターネットも、
フェースブックもインスタグラムもない時代です。
理想に燃えた若者の
名もない小さな地味な出版。
それも詩としてではなく、
高校生のリーダーシップトレーニングの
小冊子の片隅の、短い一篇でした。
誰かが、見つけて
誰かが、読んでくれて、
誰かが、心打たれて
また誰かが、人に伝えて。
30年かけて世界中に広がり、
いつしか
カトリック教会の聖人の
マザーテレサの活動拠点の壁に、
心の指針として
飾られる詩になっていたのでした。
理想に燃えた60年代の学生運動家たちも
もう70代を迎える年齢に達しました。
誰も理解してくれず、
評価もしてくれなくても、
とにかくやる、
正しい善き事をする、
Do it ANYWAY
そのメッセージを伝える
逆説の十戒も
70か国の言葉に翻訳されたそうです。
現在ハワイにある私立大学の学長として
活躍を続けている
ケント君ことケント・キース博士は
テレビのインタビュに応えてこう言います。
「人は老いも若きも
人生の意味を求めているものです。
宗教や国家の政策を超えて
理想を持つ事がどんなに大切か。
逆説の十戒が世界中に広がったのは、
質問として問われたのではなく、
No Excuse, Do it Anyway
とにかくやる、
それでもなお行動する
と伝えたからではないでしょうか」
人が知ろうが知るまいが
評価があろうがあるまいが、
明日には崩れようが崩れまいが、
69歳になったケント少年は
今でも繰り返します。
それでもなお、
善きことをしなさい。
それでもなお、
人を愛しなさい、と。