#13 要らない贈り物
お釈迦様のお話です。
ある男が釈迦牟尼の所にやって来て、
何が理由か、怒りのこもったののしりの言葉を浴びせました。
ブッダは、それに怒る事なく、男に静かに聞きました。
「客人が来る時、お前の家に贈り物を持ってくるか」
男は答えます。
「もちろん、持ってくる。それがどうした?」
「その贈り物が腐った食べ物であればどうか?
お前はそれを受け取るだろうか?」
「そんなものを受け取るわけがないだろう?」
男は、馬鹿にした様子で、
ブッダにさらに怒りの言葉を浴びせました。
「では聞くが、」
とブッダは男に言いました。
「その腐った食べ物は誰のものか?」
男は悪口雑言の口調のまま答えました。
「そんなものを持ってきた、その馬鹿者の客人のものだ」
「それでは聞くが」とブッダは続けました。
「私に浴びせたお前の雑言は、誰のものか」
「…..」
言葉を一瞬失った男に、ブッダは優しさのこもった目で見つめながら、言いました。
「贈り物を持ってくる客人がいても、
受け取らなければ、それはその客人のものだろう。
贈り物も、悪口雑言も、誰かの怒りも、
要らないものを受け取る必要なない」
この「要らない贈り物」は、有名な話の一つです。御聞きになった方も多いと思います。
このお話をお伝えしたいなと思ったのは、
ある女性がこんな悩みを打ち明けてくれたからです。
その女性は、親しくしている友人から
心にぐさりと来る批判や評価をされて、内心傷ついていました。
たぶん良かれと思って言ってくれるであろう批判や評価が、
自分のためになるより、落ち込ませる原因になっていました。
言われた場ではびっくりしてしまい、
何も言い返せないでいました。
後になって、「それはないでしょう」と思ったのですけど、後の祭り。
どうしたらいいかわからない、という相談でした。
要らないモノ―
腐った食べ物でも、悪口雑言でも、落ち込ませるような批判や評価でも、
要らないモノをもらってしまったら、
受け取る必要はないと、お釈迦様は言うのです。
私達には、受け取らないという選択肢があるという事を
先ほどのブッダの話は伝えていると思います。
私がいるモノじゃないなと思うものを
もらいかけてしまったら、
ちょっと立ち止まって、
お釈迦様のお話を思い出していただけるといいかなと思うのです。
私はこの女性に
お釈迦様のお話を贈りたくて
書いています。
勿論、彼女がこの話を聞いて、そうか、と思ってくれればいいし、
「いや、これはいりません」と思ってくれても、
実は、一向にかまいません。
だって、
彼女にも、私達みんなにも、
要らないモノは受け取らないという選択肢が
いつも、あるんですから。