#35 鉛筆一本
アダム君は、普段は地味な単色のTシャツ姿で
頭髪はクリーンカット、
ちょっとはにかんだように話す口調に、
きらりとした情熱が感じられますが、
アメリカのどの大学キャンパスにもいそうな
普通の好青年です。
アダム君は大学2年生の時、
世界をめぐる洋上大学に参加。
さらに、
青年たちがよくするように
大きなリュックをしょって
自分の住む場所を出て、他の州や多くの国を
貧乏旅行をして回りました。
ある日、アダム君が
中米のグアテマラの山奥を
歩いていた時の事です。
素朴そうな中年の現地のおじさんに会いました。
ホエールさんという名前の人で、
アダム君が英語を話す青年だと知るや、唐突に
自分の家に来て、テープに英語を録音して欲しいと頼みました。
会ったばかりの人の家に泊まりに行くなど、
アメリカなら絶対しないような事でしたが、
アダム君は、山をいくつも超えた
ホエールさんの村に
ミニバスを乗り継いで出かけて行きました。
そして、3日間、
ホエールさんと奥さんの一間だけの家に泊めてもらいながら
聖書をテープレコーダーに英語で読み上げて
ひたすら吹き込む作業をしました。
ホエールさんは、山の村の先生で牧師さん、
英語のネイティブの声を
村の子供たちにも是非聴かせたいと長年思っていたのでした。
その時、アダム君は
自分が普通に思っていたアメリカの教育環境が
いかに恵まれたものであるかに気が付きました。
無銭旅行中、アダム君は
行った先々で、その町のその国の子供たちを捕まえては、
こんな質問を投げかけてみました。
「君は、何でも手に入るとしたら、何が欲しいのかな?」
アダム君が小さい時は、
バスケットボールのカード集めに凝っていて
一番欲しい物と言えば、
マイケルジョーダンのスーパーカードでした。
南の島のハワイで会った長髪の少女は、
青い空を見上げて、「ダンス」、
「フラがもっと上手に踊れるようになりたい」と言いました。
香港で会った少年は
「魔法が手に入ったらいいなああ」とつぶやきました。
中国の通りを歩いていた眼鏡の少年は
「本が欲しい」と応えました。
インドに着いた時、
アメリカ社会からは想像もつかないような貧困を目にしました。
自分も歩けるようになったばかりの年齢の子供たちが
生まれたばかりの赤ん坊を
背中にくくりつけて、乞食をしている姿でした。
そんな子供たちの一人に
「何でも手に入るとしたら、何が欲しい?」と同じ質問をしてみました。
服かな? 大きな家? 美味しい食べ物?
「鉛筆」と
男の子が答えました。
「鉛筆が一本欲しい」
アダム君は、リュックに入っていた自分の鉛筆を一本
その男の子に手渡しました。
その子の表情がどんなに輝いたことでしょう!
こうした経験が
アダム君を一つの活動を始めさせるきっかけになりました。
それはペンシル・オブ・プロミスという名前の
非営利団体です。
グアテマラのホエールさんの住む村のような山奥にも、
鉛筆一本が
何ものにも代えがたい貴重品である貧民街にも
子供たちが普通に教育を受けられるような
学校の校舎を建てたい、
それがアダム君の夢、決心でした。
アダム君が大学を卒業した後、
ウォールストリートのインベストメントバンカー
という超エリート職につきますが、数年後に脱サラ。
2008年25歳、$25で、たったひとりで始めた団体は
10年近くたった今、
ラオス、グアテマラ、ガーナなど発展途上国の各地に
すでに400校以上の学校を建てるという快挙を達成しています。
学校を実際に建てるのは現地の人々ですが、
その材料費経費やノウハウを伝えるのが
アダム君の団体の主な仕事です。
皆さんは、このアダム君の話を聞いて、どう思われるでしょうか。
たまたまラッキーだった青年の夢物語でしょうか。
何か特別の才能がある若者の成功物語でしょうか。
夢をもっていても、
何か決心をしても、
実行に移すのは誰にとっても簡単なことではありません。
ましてや、
普通の青年が
仕事を止めて、誰もやった事がない事を始めるのは
怖いし、危険が伴います。
アダム君は笑って言います。
If your dream does not scare you,
They are not big enough
(怖くない夢なんてない。怖くないならその夢は充分大きくないんだよ)
私は、このアダム君という青年が、
他のアメリカの青年のように、また日本の青年たちのように
折角就職したエリート職に留まらず、
外国に行き
自分の楽な生活環境からあえて脱して、
自分の夢を追うという決心をした
そのエネルギーは
どこから来たのだろうと、とても興味を覚えました。
そして、
アダム君について二つの事を学びました。
その一つは、
アダム君を可愛がってくれていたおばあさんが
第二次世界大戦の時、
ヨーロッパでホロコーストに遭い、
両親兄弟全員をガス室で抹殺されたという
家族の歴史を持っていたこと。
そして、
もう一つは、アダム君自身も
乗った船がーーこれは最初に洋上大学で参加した時の船ですが、
沈没しかかり、
九死に一生を得た体験をしたことでした。
バンクーバーを出て韓国に向かった船が、
異常気象に巻き込まれ、3つの巨大な暴風雨に遭遇、
冬の冷たい海で沈没寸前、
タイタニック号まがいの体験をしたのです。
船上の誰もが、絶対に助からないと覚悟を決めた経験でした。
「一度死ぬような経験をしたからかもしれません、
僕の人生は
もう一度チャンスをもらったんって
思うようになりました」
と、本人もインタビューで語っています。
アダム君の中には、
たとえ20代の青年とはいえ、
生が、いかに貴重なものであるかが
沁み込んだ家族の背景、そして自分の体験があったのです。
どこにでもいそうな青年のアダム君ですが、
自分の人生が、きっと、
何かの目的のためにあるに違いないということを
体感した人だったとわかったのでした。
彼が自分に常に言い聞かせている質問があるそうです。
それは
「成功の人生を歩みたいのか。
それとも
意味のある人生を歩みたいのか」
アダム君がペンシル・オブ・プロミスを通じて初めて学校を建てた時、
その学校は、
当時80歳になっていた祖母さんに捧げたそうです。
https://pencilsofpromise.org/about/founders-story/