#37 メンゲレを許す
東欧、ルーマニア生まれのエヴァさんは
今年で83歳になります。
子供の時、ヨーロッパからイスラエルに移住。
後にアメリカ人のご主人と結婚してからは、
アメリカに暮らすようになりました。
双子のお姉さんのミリアムさんの方は、
イスラエル人と結婚。
そのままイスラエルに残りましたが、
3人目の子供を産んだ24年前、
病気で亡くなりました。
お姉さんの死因は、腎臓が子供の時から
成長していなかったことが原因で
妊娠で負担を増した腎臓が
機能を停止してしまったのだそうです。
エヴァとミリアム姉妹が、
アウシュビッツ強制収容所の
「双子の人体実験」の生存者である事を知り、
イスラエルにいたお姉さんの主治医が、
詳しく死因の調査をして分かったことでした。
想像を絶するような残酷な人体実験は、
「死の天使」と恐れられた
ナチスのヨーゼフ・メンゲレ主任医官が中心になり、
特に双子を実験対象にしていたことでも、知られています。
ナチスが人種淘汰、人種改良に
異常な興味を持ったことから
メンゲレは
特に、収容所に送られてくる子供たちの中から、
双子を探し出しては、実験手術、外科手術を施しました。
エヴァさんとミリアムさんは
その対象の一組であったのです。
「ぎゅうぎゅうの貨物列車に詰め込まれて
到着した駅で、ドイツ兵が
『双子!双子!双子はいないか』
と怒鳴っていたわ。
母がそれを聞いて
『双子だと、いいんですか』と
兵隊に聞いたの。
『ああ』と兵隊が答えたので、
母は決心をしたように
『この子たちは双子です』って、私達を指さした。
そうしたら、私達は左側の列、
母は右の列に分けられた。
それが母を見た最後よ。
私達の方にのばされた
母の腕と手を見たのが最後だった。
それから、
私たちは人間モルモットになったの。
日曜日以外毎日8時間裸で、立ったまま、
または、座ったまま、
採血されたり、何かを注射をされたり
腕を縛られたままにされたりした。」
ミリアムさんの腎臓はその時受けた
異常で過酷な実験が原因で、
10歳の時のまま大きくなることはなかったのです。
「私にはまだ正常な腎臓が二つあった。
でも、家族で残っているのは姉一人だけだった。
だから、
私の腎臓をミリアムにあげる決心は
とっても簡単にできたわ」
エヴァさんの腎臓を移植しても
ミリアムさんの病状はすでに手遅れでした。
推定で3000人の双子が
この残虐な実験の人間モルモットになり、
ソ連兵がアウシュビッツを解放して
ユダヤ人たちを救出した時
生き残っていた双子は90組前後だけであったと
報告されています。
エヴァさんとミリアムさんも
恐らく病原菌や化学薬品の注入を受け、
治療は一切受ける事もなく
生死の境をさまよいました。
奇跡的に戦後まで生き残った姉妹は
50歳を過ぎるまで
この実験については
口を閉ざしたままでした。
エヴァさんも、何年も何年も、
「小さな双子の人体実験犠牲者の生き残り」
という人生を送ってきました。
ミリアムさんが亡くなってから
エヴァさんは
次第に自分達に起こった事を
伝える義務があると思うようになりました。
ある日、ドイツのテレビ局が
ドキュメンタリー映画を作るのに協力してくれないか
と依頼してきました。
そして、
ハンス・ミュンヒという当時アウシュビッツにいた
医者と会う気持ちがあるかどうかと聞いて来たのです。
エヴァさんは、
ホロコースト否認論者たちに立ち向かうためにも
93歳になるというこのドイツ人の医者に会って
ナチス側からの話を直接聞こうと決心します。
ミュンヒ医は、
ガス室の目撃を自分の体験として証言したばかりか
行方不明状態の
エヴァさん一家の死亡証明書にも署名する事に同意します。
そして、後にはお互いの家族を伴って
エヴァさんと同時期に
アウシュビッツに訪問する事にも同意をします。
「私が自分で言っていても、変だなあと思うんだけど、
私はその時、
ナチスの医者に感謝の気持ちを持ったのよ。
どうやって、その気持ちを伝えようかって考えた。
それで、自分で考えて
『許しの手紙』をミュンヒさんに書くことにしたの」
英語が母国語でないエヴァさんは、
英語の先生に自分の手紙を修正してもらいました。
自分の家族を抹殺し、
同胞のユダヤ人を600万人も殺害し、
子供だった自分達姉妹に人体実験を行った
そのナチスの医者の一人に
感謝の手紙を書くという事は
エヴァさんにとって
人生を「根底からひっくり返すような」出来事でした。
「その時、英語の先生がこう言ったの。
『ミュンヒはただの下っ端よ。
本当の敵、悪の権現は
メンゲレよ。
メンゲレがいると仮定して、
彼に手紙を書いてみるというのはどうかしら」
私は「とんでもない」と思ったのですが、
家に帰って、考えて
こういう事をしたんです。
英語の辞書を取り出してきて、
私が見つけられる限り一番ひどい言葉を20個、
書き連ねたの。
そして、
こう書いたの。
そんなお前だけど、許す。
『死の天使』のお前を許してやる、って。」
エヴァさんはそれ以降、
自分がやっと、
アウシュビッツから解放されたことを
感じました。
親もいない、
権力も腕力も金力も何もない
ただの10歳の女の子は、
もういないのです。
「私にはパワーがあるってわかったの。
相手を許すことができるパワーよ」
エヴァさんは、その後
CANDLES:Children of Auschwitz Nazi Deadly Lab Experiments Survivors
(アウシュビッツナチス人体実験生存者チルドレン)という団体を創立し、
180人の生存者のうち
122人の双子たちを見つけ出します。
エヴァさんの活動は、2006年
「ドクター・メンゲレを許す」という
今度は、アメリカ人の作った
ドキュメンタリーフィルムとなって公開されました。
さらに、2015年にエヴァさんは
「アンネ・フランク世界を変えた人賞
(Anne Frank Change The World Award”)」
を受賞しています。
エヴァさんのお話は、
心も凍るほど残酷で
人間に起こってはならない、
在ってはならない話です。
しかし、私には、
人間の持つ残虐性とともに、
それを乗り越える程の
高い精神性を感じさせてくれるお話でした。
皆さんはこのお話を読んでどんなふうに
感れ。
泥が濃ければ濃いほど、水が淀んでいればいるほど
大輪を咲かせるという
お釈迦様が座っていらっしゃる蓮の花を
脈略なく思い起こしたのは
私だけでしょうか。
「許すことのパワー」を身をもって示してくれた
エヴァさんが、
真っ白い、大きな蓮の花に見えた気がしました。