#69 キッズハートツー
ヒロさんと弟さんが、
お母さんを練炭中毒で亡くしたのは
ヒロさんが、たった2歳の時でした。
その後ヒロさんは
3歳から15歳まで
東京の養護施設で育ちます。
亡くなったお母さんには
あと少しで生まれるはずだった
もう一人の兄弟が
おなかの中にいたそうです。
赤ちゃんだった弟さんは
乳児院に預けられ
ヒロさんは始めカトリック系の
養護施設、
後に東京育成園という施設で育ちました。
優しいシスターや
野球チームを一緒に作ったお兄さん、
学校の体育の先生など
沢山の人に支えられた
少年時代でした。
でも同時にいじめや
大人による無意味な体罰、
慕った人が離れていく別離
父親と暮らせない悲しみなど、
多くのトラウマも
経験して大きくなりました。
小さい時は
いじめられると
死んだふりをしたり、
小石をいつもポケットに入れて
自分を守る事を学んだり、
後には、いじめをする側に
回った事もありました。
スポーツによって支えられた
少年時代でしたが、
その頃は、トラウマが何かも、
また、
その対処の仕方も知らずに育ちました。
日本の大学を卒業したヒロさんは
アメリカのオレゴンにある大学で
社会福祉を勉強する道に進みます。
そして、
家族や大切な人達と
「死別・離別体験をした子供支援」の
ダギーセンターと繋がります。
ダギーセンターの「ダギー」というのは
30数年前13歳で亡くなった
一人の少年の名前です。
ダギー君は脳腫瘍のため、
オレゴン州の病院に入院していました。
死ぬ数か月前から
周りのティーンたちと
死や病気について語り合い、
自分の命が亡くなるまで、
他のティーンたちの恐怖を
緩和してあげていた
という少年でした。
ダギーセンターでの訓練で
ビデオを見ているうちに
ヒロさんは涙が自然に
あふれ出てきました。
小さい頃の思い出、
辛かったシーン
寂しさや孤独感が
フラッシュバックとして戻ってくる
という体験をしました。
そして、それまで考えてみなかった
自分が死別や離別の
トラウマ体験者だったと
始めて気が付きました。
そんなヒロさんに
ダギーセンターの人々が
「ここでは泣いて、いいんですよ」
言ってくれたそうです。
その時から、
自分が何年もしまい込んでいた
何かが解放されていくのを
感じました。
ピアサポート、
つまり同じ立場にある人、
子供たち同士が
支え合う支援の中で、
子供たちへの支援は
大人への支援の在り方とは
違う事を理解する必要がある、
と、ヒロさんは言います。
大人には言語があり、
感情の表現という方法があります。
でも子供たちは、
小さければ小さいほど
言語ではなく、
行動や振る舞いで
心の痛みを表現するのです。
走り回る事、
体を動してエネルギーを発散する事、
絵を描くこと、ゲームをする事
音楽やスポーツや遊びで
感情や痛みを表現する事、
それが
子供たちの「言語」です。
そのためには
子供たちが「安全」と思える環境を
作ってやらなければいけない。
そこで初めて
子供たちが安心してグリーフワークが
できるようになるのです。
その環境を作るのが
大人たちの仕事、
家族や先生や周りの大人、
そしてファシリテイタ―と呼ばれる人々の
役割です。
小さい頃に来ていた子供たちが
16歳以上になると
ファシリティターの訓練を受けて
グループに戻ってきてくれる
こともあります。
ヒロさんがダギーセンターで出会い、
後に結婚してライフパートナーとなった
シンシア・ホワイトさんは、
グリーフという事に対して
私達が持っているかもしれない誤解を
こんな風に説明してくれます。
シンシアさんもまた
アメリカの養護施設
フォースターケア(里親)で
育った方です。
「かつてグリーフとは
時間がたてば癒える
過去の事だと考えられてきました」
グリーフ(grief)とは
「悲嘆」「嘆き」「深い悲しみ」
などをあらわす言葉です。
トレーニングディレクターとして
ダギーセンターで何年も仕事をし、
日本の阪神淡路大震災や
東日本大震災の
グリーフケア、啓蒙活動も
活発に続けているシンシアさんは、
「グリーフとは、むしろ、
今この時、体が体内で感じている
エネルギーであることを
理解する必要があります」
と強調します。
グリーフとはエネルギーなのです。
ヒロさんは、ハワイ大学の大学院に進み、
シンシアさんと共同で
「キッズ・ハート・ツー・ハワイ
(子供だって傷ついている)」
の前身のNPO団体を創設します。
そして、
死別離別体験児童だけでなく、
里親や養護施設体験児童などのケア、
子供たちを支える大人たちの
トレーニングも開始します。
美しい自然に恵まれたハワイでも
死別や離別、家庭内暴力など
トラウマを抱えた子供たちはいます。
トラウマの処理をしないまま
大人になって
身体や精神のアンバランスを経験
してしまう人もいるそうです。
「トラウマのある子どもには
できるだけ早く介入してあげたい」
ヒロさんとシンシアさんは
ハワイ文化を尊重し取り入れた
プログラムを沢山作って
そんな子供たちへの支援を
続けています。
キッズ・ハート・ツー・ハワイでは
ヒロさんのお得意のサーフィンや
イルカと触れ合うプログラム、
ハイキングやカヌーなどの野外活動、
タロイモ畑でのプログラム
ウクレレなどのハワイ音楽など
遊びや活動を通したグリーフワーク支援が
行われているのです。
子供たちが自分で自由に選んで
エネルギーレベルにあった活動をします。
キッズ・ハート・ツー・ハワイ
(子供だって傷ついている)
という団体名も
子供たちが決めてくれました。
子供たちは
行動と活動を通して、
そのエネルギーを活性化させていきます。
言葉で話すカウンセリングでなくても、
「安全」な環境を提供すると、
子供たちの表情が変わってきて、
言葉で表現する事もできるように
なります。
「お父さんは、
心臓発作で~月~日に死にました」
と言えるようになる事は
第一歩です。
真っ黒な雲しか描かなかった絵に
いつしか太陽や虹が顔を出します。
壊れたハートばかり描いていた子は
亡くなったお母さんと
楽しく遊んだ公園の絵を
描くようになる事もあります。
東日本大震災の後
何度も日本に通って子供たちの
安全環境作りに貢献してきた
ヒロ・シンシア夫妻。
今は、ホノルルのチャイナタウン近くの
「キッズ・ハート・ツー・ハワイ」を通じて
一人でも多くの傷ついた子供たちの
太陽や虹を取り戻す手伝いに
毎日頑張っています。
ヒロさんは、
「ハワイグッズの買える
お店もやってます。
是非チャイナタウンの
ハワイ出雲大社に来た時は
寄ってください。」と、
ハワイローカルもびっくりの
サーファー日焼け笑顔でにっこりしてくれました。
お店はボランティアで運営されており
収益金は子供たちの活動資金に
回されます。
これは最近、私がハワイのWebTVチャンネル
ThinkTechHawaii “こんにちはハワイ
で“Kids Hurt Too Hawaii の伊藤ヒロさんをインタビューした録画です。
お時間がある方は是非ご覧になってください。
https://www.youtube.com/watch?v=JVFsrFJLY_w