#99 セルフダウト
レイチェルちゃんは
二歳の時始めてお父さんに
連れて行ってもらった時から
乗馬の虜になりました。
小さなレイチェルちゃんの足は
サドルの上の方にやっと届く程度、
大人が、しっかりと
支えてくれての「乗馬」です。
しかしその時から、
馬の匂い、
大きな美しい鼻づら、
長い脚、
包み込むような温かい眼、
皮膚から伝わってくる
その呼吸。
全てがレイチェルちゃんの
心をとらえてしました。
両親に何年もせがみ続け、
8歳で初めて乗馬のレッスンを
受ける許可をもらいました。
天にも昇る気持ちがしました。
ところが、
その日意気揚々と馬場に
出かけていった
レイチェルちゃんは、
乗馬の先生にこう言われました。
「無理よ、危ないわ。
ろうあ者に乗馬はできません」
キース君も似たような経験をしました。
彼の場合は
軍隊にあこがれました。
お祖父さんも大叔父さんも
第二次世界大戦の復員軍人、
子供の頃から戦争の歴史や軍服に
興味を持ち、いつかは
祖国アメリカを守る軍隊に志願したいと
思っていました。
高校卒業まじかに
ROTC(予備役将校訓練課程)に
申し込みましたが、
一喝の元、
「チャンス無し」
「ろうあ者のため資格なし」
と追い返されました。
キース君はろうあ学校の教員となり
歴史を教える道を選びました。
レイチェルさんとキースさん、
そして障害を持つ多くの少年少女たちが
社会が決めた「できない事」を信じて、
その通りだ、
自分はできない障害者なんだと
思って成長します。
手話を覚えても、
健聴者らの視線が嫌で
外では使わない。
アメリカでは
一般にろうあ者の学歴は低く、
健聴者の33%に比べ
ろうあ者は18%が大学終了。
米国ろうあセンターによれば、
失業率も健聴者の10倍近く
という報告があります。
聞こえないという身体の一つの特徴が
その人全体を「障碍者」と
定義してしまう社会で、
自己喪失、セルフダウトに
陥る人々が多い事を
語っていると思います。
話は飛びますが、
最近、ベトナムのホーチーミン市を
旅行する機会がありました。
道に迷ってしまった私と相棒は
とある小洒落た横丁に入り込み、
そこで落ち着いた
フランス風のカフェを見つけました。
そこは「ブラン(白)」と
フランス語の名前が付けられていました。
ふらりと立ちよったカフェレストラン、
落ち着いたパンアジアの調度品に
静かな照明、
穏やかなレストランは、
入った途端、
何故か今まで入ったどのレストランとも
違うのです。
直ぐに、待合室のラウンジに通されました。
やがて二階からさっそうと降りてきた
にこやかなウエイター氏に
ささやくような声で
こう質問されたのです。
「私達の世界にようこそ。
ここがどんなレストランか
ご存知ですか?」
千と千尋の神かくしの世界に
入り込んだような
不思議な気持ちになっていた私達に
そのウエイター氏は説明しました。
「ここはろうあ者が働くレストランです。
ウエイターやウエイトレスたちは
皆、ろうあ者です。
中には私のようにエイドを使って
少し聞こえる者もいます。
ここにいらっしゃったお客様に
最高のお食事と
ろうあの世界を体験し
素晴らしい食事を満喫していただくのが
このレストランのミッションです」
ウエイター氏は、
戸惑っていた私達を
階上の5テーブルがある
こじんまりとした
ダイニングルームに案内してくれると、
各テーブルに備え付けられた
手話のガイドを指さしました。
「アメリカンとフランスのサイン、
それにベトナム語のサインが混じった
手話です。
どうぞ楽しんで試してみて下さい」
そして、
文字通り「目は口ほどにものを言う」
を絵にかいたような
更にもっとにこやかな
若くてハンサムなウエイター君が登場し、
私たちのにわか手話による注文を
それは、それは、
うれしそうに聞いてくれたのです。
「あ・り・が・と・う」
「お・い・し・い」
照れ臭いけど、
下手くそな手話が通じた時の歓びは
始めてのうれしい体験でした。
健聴者のほとんどが、
ろうあ者の世界を知らずにいます。
家族や友人にろうあ者がいなければ
自分に関係のない事
と思って暮らしています。
私ももちろんその一人でした。
でも、このベトナムの経験から
ろうあの世界は
障害の世界ではなく、
違う文化を持つ世界なのではと
始めて気が付きました。
自分に備わっている事は当たり前、
ない事ばかりに
不満足を感じて生きている
私などは、
出来る事とできない事を
誰かに言われると
直ぐ「あー、やっぱりそうか」
と考えて生活してきました。
例えば、子供の時から
「女の子は理科系が不得意だから
女医さんは少ない」と言われて
「あーやっぱりそうか」と、
医者になる道はさっさと諦めました。
数学は自分には向いていないのかな、
と思ったセルフ・ダウトを
やっぱりそうだと
周りから言われるままに納得しました。
ろうあ者は
私の「女子は理数系が不得意」
などというレベルでなく、
生活のあらゆる分野で
「貴方にはそれはできない」
と言われて生活しているのだと思います。
レイチェルさんしかり、
キースさんしかり。
しかし、彼らは、
自分の夢をあきらめたでしょうか。
答は「ノー」です。
勿論、
ろうあ者として健聴者にない
制限がある事はそれぞれ認めました。
しかし、
それをハンディと思うのは
他人の勝手、社会の勝手、
自分にはこの部分以外にも
沢山の素晴らしい点があると
何度も自分達に言い聞かせました。
レイチェルさんは、
耳が聞こえずとも
馬に乗れるという事を
信じる先生を見つけ出しました。
キースさんは、
自分はろうあ者の先生になってからも
将校予備訓練課程の授業の部分を
手話通訳を通じて受ける事を
選びました。
出来る事と
出来ない事が
暗黙の了解がある社会で
二人はそれを鵜呑みにしなかったのです。
(私は情けなくも「女子は理数が苦手」を
そのまま、たっぷり鵜呑みにしました)
レイチェルさんのご両親は
健聴者でしたが、
アメリカンサインランゲージ(ASL)という
手話を娘と一緒に学びました。
両親がサインできる場合、
ろうあの子供たちの学歴が
飛躍的に伸びるという統計があるそうです。
聴覚障害者(hearing impaired)
という呼び方も、
出来るべき事が
出来ないという前提に立っているとして
レイチェルさんは、
使わないと決めました。
自分は聞こえる文化と
聞こえない文化の真ん中に立っている人間だと
自分を考える事にしたのです。
愛する乗馬の訓練を
何年も続けたばかりか、
アメリカの名門大学スタンフォードで
英文学を専攻、
卒業後はローズ奨学金を得て、
イギリスはロンドンの
オックスフォード大学に
奨学金留学をしました。
今は、ろうあ者の文学の研究を
博士課程で勉強しているそうです。
一方、ろうあ学校の教員キースさんも、
軍隊にはいるという夢を
決してあきらめませんでした。
予備将校が参加すべき
教室での受講だけでなく、
実地訓練にも参加し始めます。
「参観だけなら」と渋々認めた
教官にも、始めは
「お前はそこに立って見ていろ」
と言われました。
他の訓練兵は皆支給されているのに、
1人だけ軍服を着ることなく
Tシャツとジャージーで参加しました。
耳の聞こえない兵隊予備兵に
軍服は支給されなかったからです。
それでも毎朝5時からの訓練にも
めげずに参加しました。
たとえ立って見ているだけでも、
自分の夢に一歩でも近づく、
それが一番の近道としんじました。
実際に行列参加を許されるのに
数週間待ちました。
それもやり通しました。
彼の熱意をクラスメートたちや
教官たちが感じてくれたからでした。
行列行進に参列した初日
二列目に立って前方の人を見ながら
やってみようと思った所、
教官が大声で言いました。
「一番の兵隊になりたいんだろう。
一番前に来い。
皆をリードしてやれ!」
この言葉が、
キースさんがそれまで持っていた
自分のセルフダウトを
吹き飛ばしました。
ろうあ者だから、
女だから、
お金がない家庭で育ったから、
これがないから
あれがないから、
私たちが自分で決めて信じ込んでいる
「出来ない」という小さな声、
社会に言われて信じてしまった
根拠の薄い信念、
セルフダウトのその声を
私たちは
いつも聞いて生活しています。
その声はいつまでたっても
たぶん、
ぶつぶつ言い続ける事でしょう。
その声を聴いて納得するのも貴方、
その声を聴いても
鵜呑みにしないのも貴方。
自分の本当の声を見つける
選択肢は
いつも貴方自身にあるということを
レイチェルさんとキースさんのお話が
教えてくれるように思います。
今度ベトナムに行く機会があったら、
今度は、
ろうあ者レストラン「ブラン」の姉妹店
盲目者が働く真っ暗レストラン
「ノワール」を
是非訪ねてみたいと思っています。