#78 ひび割れた水瓶
インドでは、
ものを運んだり、
力仕事をしたりする
モノ運びという意味に語源を持つ
ベアラという男の召使がいます。
ある村に上流の水源から
ご主人様の家まで
毎日水運びの往復仕事をする
あるベアラがおりました。
この男は長い棒の左右に
大きな水瓶を結び付け、
肩に背負って
バランスを取りながら
坂道を一日何度も往復するのでした。
行きは勿論、
たっぷりと水を汲んだ
水運びの帰り道は
素焼きの水瓶の重さが
肩にぐいぐいと食い込みます。
上流で汲まれた新鮮な冷水は
自然に瓶の表面を湿らせ、
その水分が蒸発する際の気化熱で
水瓶の中の水は
ひんやりと冷たいままなのです。
暑い地方ではこの自然冷却の水が
どんなに貴重だったことでしょうか。
ベアラの運ぶ
二つの素焼きの大きな水瓶は
見た所ほとんど同じでしたが、
一つの水瓶は
残念な事に
少々ひび割れが入っておりました。
たっぷり水を入れた後は、
少しずつではありますが、
どうしてもポタポタと
大切な中身がこぼれてしまいます。
坂道を苦労して
ベアラどんがせっかく運ぶ水も
御主人様の家に着くまでには
いつも半分近くになっているのです。
ある日、
ひび割れの無い完璧な水瓶が
ひび割れのある方の水瓶に
向かって言いました。
「お前さんは見た所は変わらないが
俺様と比べると欠陥者だ。
たっぷりと入った水が
半分近くもお前の割れ目から
こぼれて落ちてしまう。
何という恥さらしだ」
これを聞いたひび割れの水瓶は
自分の一番気になっている
欠点を指摘され、
すっかり気落ちしてしまいました。
分かっていた事ではありますが、
自分はそれでも一生懸命
役に立とうとしていたからです。
「確かになあ、
そうだなあ。
俺はお前と同じ場所で作られて
御主人様の家に来た。
こうしてベアラどんが
毎日同じように肩に背負って
運んでくれては、いる。
俺はこの仕事が好きだ。
俺なりには
一生懸命やっているつもりだ。
でもなあ、
本来自分がするべき仕事の
半分しかできていないのも
お前さんの言う通りだなあ」
自分がまともでなかった事を
目の前に突き付けられてしまった
水瓶は、ふうとため息をつきました。
「全くお前の言う通りだよ。
お前と比べると
ベアラどんのご主人様に
半分の水しか
運んであげられないもんなあ、俺は」
と、自分がほとほと
情けなくなってしまうのでした。
ひび割れた水瓶の言葉を聞いて
完璧な水瓶の方は
ふふんと鼻を鳴らしました。
今まで言いたくて仕方のなかった
相手への不満を
ぶつける事ができて
かぶせるように続けました。
「お前は、よくもまあ
おめおめと
水瓶をやってるものだ。
ほとんどの仕事は
俺がやってきたのにな」
完璧な水瓶は
役立たずの相棒を眺め、
心のなかでは
『早く砕かれて
庭の砂利にでもなってしまえ』
と思いましたが、
反面、自分の傷のない
なめらかな表面をうっとりと
感じていました。
さて、それを聞いていたベアラどん。
きょうも何回目の往復かを終えて、
木陰でこの会話を聞いておりました。
なんとまあ、水瓶ですら、
人間のように、
自分達の欠点などを
どうこう言うことであるよ
と感心してしまったのです。
しかし、やはり人間としては、
一つ言っておこうと思い、
二つの水瓶たちに
話かけました。
「お前さんたちは
両方ともよーっく
働いてくれていることよなあ。
文句も言わず
おれの仕事に付き合って、
御主人様に美味しい冷たい水を運ぶために
もう何年も
一緒の時間を過ごしてくれた事だ」
二つの水瓶は黙って
ベアラどんの言葉を聞いて居りましたが、
ひび割れの無い方の水瓶は
「これはほとんど
俺様がやって来た仕事だな」
と内心誇りを感じておりました。
一方、ひび割れた水瓶の方は
「そう言ってくれるが、
俺はほとんど
お役に立っていないのは
皆知っている事だ。
ベアラどんのねぎらいは
俺に向けたものでない事は当然だ」
おのおのそんなことを考えていると、
ベアラどんは
何を思ったか
割れた水瓶の方に向かって話かけました。
「お前さんよ、
少々ヒビ割れの入った水瓶どん。
お前さんも頑張ってくれた事だ」
完璧な水瓶の方は、
自分の方により多くの賛辞が来ることを
期待しておりましたから、
事のなり行きに
ちょっと驚きましたが、
ベアラどんはカタワモノにさえ
優しい事だと思って
そのまま聞いておりました。
「お前さんらは
気が付いていたかな?
毎日の往復の道筋の事は」
ベアラどんはまだ
ひび割れた水瓶に向かって
話しかけているのです。
「最初にご主人様から
お前さんたち二つの瓶を持たされた時、
俺は思ったよ。
おや、新品の素焼きの瓶なはずなのに
一方は完璧で
もう一方は少しヒビが入っている事よ」
ってなあ。
それで、俺は庭師の爺さんから
花の種を分けてもらったのさ」
ひび割れの瓶と花の種のかかわりが
今一つピンとこなかった水瓶たちは
そのまま黙って
話の続きを聴いておりました。
「お前さんたち、よーく見てみるがよいよ。
水元からの帰りの道筋は
花がたっぷり咲いているだろう。」
そう言われてみると、
確かに一方だけですが、
道筋は
野の花だけでない
色とりどりの美しい花たちが
脇道近くに沢山その笑顔を
見せていました。
「お前さんを持った側の道脇がなあ」
割れた水瓶に顔を向けたまま、
ベアラどんは続けます。
「ころあいよく
水を撒いてくれるのでなあ、
爺さんからもらった花の種が
たっぷりと花を咲かせてくれておるのよ。
俺の辛い水汲みの仕事もなあ、
道を彩る花たちの色を見ると
一気にすっとんでしまう。
この道を歩く人達も
きっと
綺麗な花を楽しむ事ができるのさ。
お前さんも頑張ってくれた事だ、
なあひび割れた水瓶どんや」
そう言って、ベアラは両方の水瓶を
見つめました。
御主人様も毎日おいしい水が飲めるのは
お前さんのおかげだし、
俺や道を行く人々が
愛でる花を咲かせてくれたのは
お前さんのおかげだなあ。
ありがたい事だ、なあ。
ありがたい事だ。
みんなそれぞれ役に立っているからなあ。
このひび割れた水瓶の話は、
元々インドの民話だそうですが、
後に中国にも伝わって
説話として語り継がれてきたそうです。
出典はともかく
実は私はこのお話をライフコーチングの
クライアントさんから
教えていただきました。
「うちの息子は
『ひび割れた水瓶』なんですよ」
そのクライアントさんは、
愛情を込めたトーンで
息子さんの話をしてくれました。
そろそろ13歳になる
一人息子さんのことです。
妊娠中に
ダウン症候群と診断されましたが、
もうかなり高齢だった
クライアントさんご夫婦にとっては
やっとできた赤ちゃんが
染色体異常のため
中絶する選択肢は
全く考えられない事でした。
せっかく授かった命を大切にしたいと
クライアントさん夫婦は
二人そろって
ダウン症の子供を育てる決心をします。
そして13年。
クライアントさんは
息子さんが、体も大きくなり
学校も行けるようになったこの時期、
自分の教育訓練を受け直したいと
想い始めました。
自分の息子や家族が受けてきた
素晴らしいケアギビングの仕事を
是非一生の仕事にしたいと思ったのです。
自分の子供だけの事でなく、
自分の経験と知識とを是非
他の人も助けることのできる仕事を
したいと考えました。
勿論、息子さんのケアは
そのまま抱えたままですが、
御主人と相談して、
パートタイムでいいので
ファミリーケアギバーという訓練を受けたい。
そのためには自分の今の生活を
もう一度見直して、
50代近くなって始める
自分の教育のために
生活をきっちりとさせたい。
こんな素晴らしいゴールを持って
ライフコーチングを
受けに来てくださいました。
私はすっかりうれしくなって
この方の決心を精いっぱいサポートする
お手伝いをさせていただきました。
数回お会いして
生活の無駄や時間割り、
つい先送りにしていた事を
片付けるやり方などのコーチングを
受けてから、
このクライアントさんは
こう言いました。
「ボビー(息子さんの名前)は
私が自分の生活を見直し始めてから
ずいぶん大人になった気がします。
いわゆる正常な子供とは違うのですが、
元々素晴らしい絵を描く子でした。
ちょうど
ひび割れた水瓶のように
私達は彼の描く絵を見て、
『ああ、なんて美しい花を
私達のために
咲かせてくれているのかしら』
と思うのです。
「ママはもうすぐ学校に行くから
応援してね」と
目を見てしっかり話しました。
ボビーは翌日から
それまではケアギバーさんが
してくれていたことも
自分でやろうとし始めました。
もう13歳なんですから」
クライアントさんの息子さんの
ボビー君という水瓶に
「ダウン症」というひび割れ
があると思うのは一つの考え方です。
しかし、ひび割れが欠陥なのではなく、
その水瓶にしかできない
お仕事と思う時、
完璧である水瓶は
水をそのまま運ぶ事は出来ても、
道端の花を咲かせる事が
できるとは限りません。
ヒビ割れがあるこそ、
多くの人が
愛でるお花を咲かせることが
できるのだなあと思いませんか。