#113 顔を撃たれた私
フロリダ州のタンパ市に暮らす
28歳のデビーさんは、
その日、女友達数人と
夜の食事を終え、
帰路につく途中でした。
二人目の赤ちゃんを
産んだばかりだった
若いお母さんのデビーさんは、
久しぶりのお出かけで
ちょっとウキウキした足取りで
レストランから、
路駐の車まで
歩いていました。
そこにやって来たのは、
若い黒人男性二人で
「小銭、あれば貰えないかな」
と、お金をせびってきました。
「ないわよ」
と返事をする間もなく、
後ろにいた3人目の男が、
「本気だぞ、金を渡せ」
と怒鳴りつけたかと思うと、
振り向いたデビーさんの
口に向かって
銃口を突き付け、
一瞬の間もなく
発射したのです。
銃弾は、口からほほに向かって
貫通しました。
デビーさんは混乱しながらも、
自分の顔を撃った男が、
まだ少年である事を
頭の隅にとどめました。
血まみれのデビーさんは
無我夢中で、
今出てきたばかりの
レストランに駆け戻ると
「撃たれた!顔を撃たれたのよ!
顔はまだある?
私の顔は、まだあるのっ?」
と叫んだことを覚えています。
1990年の夏、7月27日の事でした。
その数日後、
強盗、恐喝で逮捕された
13歳の少年が、
デビーさんを撃ったのは
自分だと自白しました。
少年の名前はイアン・マニュエル。
父親を知らず、
教育を受けていない
シングルマザーの母親は
幾つもの仕事を掛け持ちして
家計をささえ、
少年が万引き、すり、強盗で
何回も捕まっても、
なすすべもない状態でした。
弁護士は、
未成年は犯罪を認めれば
刑が軽くなるはずだと
アドバイスしました。
泣き崩れる母親にも懇願されて
イアン少年は
罪を認めます。
しかし、
判決は、
普通なら未成年に課されない、
殺人未遂による終身刑、
それも仮釈放は
一切認めない
という重刑が課されることに
なったのです。
街のチンピラだった少年は、
死ぬまで、一生を
刑務所で暮らす運命となり、
未成年としてではなく、
大人と同じ厳しい扱いを
受けました。
繰り返す反抗的態度から、
独房で何か月も、
いや、何年も過ごしました。
催涙ガスや薬品で
押さえつけられた事も
何度もありました。
一方デビーさんは、
自分を傷つけた犯人が
たった13歳の少年で、
終身刑を受けたと知って
ショックを受けました。
しかし、
第一に
自分の体と心のトラウマを
回復させることに
精神を集中させました。
バラバラになってしまった
歯、歯ぐき、顎、口蓋、
それから10年間
デビーさんは実に40回の
手術を受ける事になったのです。
銃弾が頭に行かず、
貫通して
命が助かったのは奇跡でした。
しかし、
身体の傷が癒えても、
心の傷はいつまでも
残りました。
夜道を歩いている自分、
お金をせびられるシーン、
そして、
スローモーションで
自分の口に銃口が向けられて、
発射される衝撃、
少年の顔、
その場面を何千回
思い浮かべた事でしょう。
顔を撃たれたデビーさん、
顔を撃った少年の
二人の運命は
あの夏の日の一発の銃弾で
それまでとは違う全くの別方向に
向いてしまいました。
クリスマスも近い
12月のある日、
独房にいたイアン少年は
刑務所から一本だけ
外部に
電話をする事を許されました。
一度も会いにきてくれない
母親ではなく、
自分が傷つけたデビーさんに
少年は電話をしたのです。
一言でも詫びを
言いたかったからでした。
コレクトコールで
刑務所から電話が入った時、
デビーさんは
一瞬迷いました。
自分をこんなひどい目に
合わせた人間が
刑務所から電話をしてきた。
一体、何を話せばいいの?
少年は電話口で
ごめんなさい、
と繰り返しました。
本当にひどい事をして、
ごめんなさい。
どうか、許してください。
ごめんなさい。
ごめんなさい。
電話を切る前に
少年は一言、
メリークリスマス
と付け加えました。
人生で何もチャンスを
与えられず
13歳まで生きて、
死ぬまで刑務所に暮らす運命の
一人の黒人少年が、
どんなに勇気を奮って
電話をしてきたか、
デビーさんには理解できました。
自分を傷つけた相手への
憎しみや恨みを超えて、
デビーさんは頭でなく、
少年の勇気を
心で理解したのです。
この電話の後、
イアン少年はデビーさんに
手紙を書きました。
電話で話してくれて
ありがとう。
謝って取り返しが付くことでは
ないけれど、
ありがとう。
また、手紙を書いてもいいですか。
暫くしてから
デビーさんは、
返事を書きました。
貴方は文章が上手よ。
もっと本を読みなさい。
刑務所にも
図書室くらいあるんでしょう?
起こった事は
もう取り返しがつかない、
でも、これから
生きる事を考えるのよ。
私もそうしている。
顔を撃った犯罪人と
撃たれた被害者の
二人の交流は
その後実に
26年間に及びました。
その26年のうち、
イアン少年は
18年を独房で過ごしました。
元々、
触れあう必要もない
二度と会う事もない
二人でした。
生きる何の目的もない少年が
独房で何度も自殺未遂をしても、
最後に
生き続ける事を選んだのは
デビーさんの
許しがあったからでした。
未成年に終身刑は、
米国憲法に反すると
人権運動をしていた
アラバマ州の団体の
訴えが認められ、
イアンさんは
釈放されました。
「デビーさんがいなかったら、
今の僕はありません」
イアンさんは40歳に
デビーさんは55歳に
なっていました。
年齢は経ても
社会生活経験ゼロの
イアンさんは、
刑務所の外での生活を
したことがありません。
銀行の口座開設、
運転免許、
料理や洗濯機の使い方、
全て一から学ばなければ
なりませんでした。
社会復帰のプロセスには、
犯罪を憎んでも
その人を憎まなかった
デビーさんがいました。
人生を狂わせた少年を
許したデビーさんは、
少年が恵まれない環境で
育った事が
犯罪と悲劇の大きな原因であると
理解していました。
自分が傷つけた人が
自分を傷つけた人が
今は大切な
お互いの人生の
テレビでも紹介された
二人のストーリーは
アメリカの多くの人の心を
捉えました。
このお話には
許しというテーマ、
生きる目的というテーマ、
苦難を乗り越えるというテーマが
含まれていると思います。
「苦しみは真実への案内役」
という言葉を残したのは
アウシュビッツユダヤ人収容所を
生き延びた
ヴィクトール・フランクル博士
の言葉です。
終身刑を受けた人や
顔を撃たれた人の
苦しみを、
私達が容易に理解できるとは
思いません。
でも、
その苦しみを乗り越えた人々の
勇気と心の強さは
心にも留めておき、
皆さんとシェアしたいと
思いました。