#86 心に届く言葉

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私たちの心は目に見えません。

でも、

私たちは誰でも

心が痛むという事を知っています。

 

大切な人を失った時、

裏切りを経験した時、

大きな失望に出会った時、

 

心が苦しい

心が病む

心が痛む

心が壊れてしまう、

そういった感覚は

頭だけではなく、

体の細胞の一つ一つと

「私」という自我全体が

同時に感じるように思います。

 

精神、神経、メンタル、心療と

いろいろ名前がついていますが、

見えない心が、頭や体に

とても強い影響を与える事も

私たちは経験から知っています。

 

 

心が体に影響する事を

そして、言葉が心に届く時

心と体が一つになる事を、

身を持って体験したある一人の女性の

お話をしたいと思います。

 

このアメリカ人女性、クリスティンさんは

まだ大学生の時、

不思議な発作にみまわれました。

 

始めは言葉がもつれて

頭がボーっとするという経験から始まりました。

 

足がふらついて

ちょっと変という症状も出ました。

 

うまく立てない、

うまくバランスや姿勢が保てない

立ち上がっても、

足がふらふらして

座りこんでしまいます。

 

ストレスだろうという医者。

栄養や睡眠の改善をアドバイスする医者。

いろいろな専門家が

あらゆる検査をしても

体そのものに異常はないというのが

結論でした。

 

そのうち、麻痺や痙攣が悪化し、

一日に何度も地面にばったりと

倒れてしまうようになり、

外出時にはヘルメットを

かぶらなければ、

危なくて学校にも

行けなくなってしまいました。

 

やがて、うまく声が出せない

話していても

自分の声のような気がしない、

集中力も散漫になり、

次第に

何もしないのに体の左側だけが

ひきつけを起こすようになりました。

 

原因がわからないばかりか

不思議な症状も

なかなかよくなりません。

 

骨筋力をつかさどる

随意運動機能が、

自分でコントロールできるはずなのに、

異常をきたしてしまったのです。

 

 

有名な専門病院で診てもらった所、

クリスティンさんの体は

「転換障害」という病気である事が

分かりました。

 

体は問題がないのに、

心の病が体に影響を与える病気です。

心のストレスが転換されて、

体に出るという事で付いた名前だそうです。

 

病気の名前が分かっても

症状が緩和するわけではありません。

大学の授業にも

満足に出席できなくなった

クリスティンさんは、

ついに大学を中退。

引きこもりの為

自殺未遂までしようと考えます。

 

 

実はクリスティンさんは、

この病気が発病する数年前

大の仲良しだった一歳違いの

お姉さんを、交通事故で亡くす

という悲劇を経験していました。

 

酔っ払い運転による事故で

お姉さんのベサニーさんは

ある日突然

若い命を絶たれたのです。

 

事故のあったその晩、

寝ていたクリスティンさんを

起こしたお父さんが、悲痛な声で

「ベサニーはダメだった」

と一言だけ、伝えました。

 

青天の霹靂そのものでした。

 

たったこれだけの言葉は

クリスティンさんの心を

奈落に突き落とすのに

十分だったのです。

 

しかし、急死したお姉さんのことを

クリスティンさんは

忘れようと努力しました。

忘れようとすればするほど

事故の事、

お姉さんが感じたであろう苦痛が

クリスティンさんを

自分の事のように苦しめました。

 

 

お姉さんのベサニーさんの葬式も済み、

大学に入って普通の生活を

取り戻したように見えた数年後に

クリスティンさんは

この病気を発病しました。

 

クリスティンさんの心は、

壊れてしまっていた事を

認める事ができずにいたので、

体が心に代わって

クリスティンさんの

心の苦しみを

表面化させようとしたようです。

 

転換障害とは

心的外傷後ストレス障害(PTSD)と

併発する病だそうです。

 

人間の心はショックを受けると

脳がシグナルを出して

呼吸を早めたり

発汗を促したり

心拍数を早めたりします。

 

ショックのレベルがもっと高いと、

一時期

目が見えなくなる、

声が出ない、

耳が聞こえないなどの

極端な体の反応を起こす場合もあります。

 

クリスティンさんは

体の病気が出て始めて

心がどんな体験をしたかを見つめる事が

できるようになりました。

 

お姉さんの死のその夜の苦痛を

家族や自分が感じた苦痛を

全て自分の心の苦しみとして

無意識に深く体験してきていたのです。

 

つまり、頭で終わった事と納得していても

心は、または潜在意識と言い換えてもいいと思いますが、

納得していませんでした。

 

心はその事故時の苦しみを

何度も何度も繰り返し感じていたのです。

 

ちょうど、壊れてしまった

おもちゃのお猿さんように

同じ所をぐるぐると回っていたのでした。

 

クリスティンさんは

杖や車いすの生活は一生続くだろうと

覚悟をしますが、

ある日お父さんに連れられて

ある催眠療法の先生の元を訪ねます。

ダメで元々と思ったのです。

 

ジョン・コネリー先生という

名前の療法師の先生でした。

コネリー先生はトラウマからの回復を

専門にしている催眠療法師です。

 

催眠療法は、たった一回の施術でも

深い意識に到達する事ができると、

回復が可能になる事があり得ます。

 

それは一見不思議なミラクルに思えるのですが、

脳と体と心が一致する事で

十分あり得る事なのです。

心に言葉が届くと

心にうごかされていた体は

言う事を聞いてくれるのです。

 

そこでクリスティンさんは

コネリー先生から

心に届く言葉を受け取りました。

 

「お姉さんの苦しみはね、

もう存在しないんだよ」

 

お姉さんはこの世には存在しない。

心えぐられるような悲しい事実です。

 

しかし、残されたクリスティンさんの心が

納得しなくてはいけなかった事は、

事故による苦しみも、また

もう存在しない、という事でした。

 

 

頭でわかっていても、

この事実を心が受け入れていなかったため、

体と心が、ショックを受けた時と同じ反応を

何度も何度も、繰り返していたのです。

 

催眠療法は、心に届く言葉を

頭ではなく、

心に一直線に届かせる事が

できる方法の一つです。

 

苦しみはもう終わった。

もう存在していない、

この言葉が心に響いた時

クリスティンさんの痙攣が収まりました。

 

麻痺していた手足も

ぼやけていた視力も

回らずにいた呂律も

戻ってきました。

まるで頭の上にかかっていた真っ黒な雨雲が

サーと吹いてきた風に

一気に吹きさらわれたような感覚でした。

 

クリスティンさんは

コネリー先生の診察室をでて

お父さんの待つ待合室に歩き始めました。

車いすで運ばれた娘が

ドアを開けて歩いて出てきたのです。

 

「お父さん、私はもう大丈夫」

クリスティンさんの爽やかな目が

そう語っていました。

しっかりと立ち上がって

クリスティンさんはお父さんを見つめました。

 

ベサニーさんの急死に次いで

下の娘も失いかけていたお父さんは、

待合室でむせび泣いたそうです。

しかしそれは

感謝と希望の涙でした。

 

娘の心が必ず強く戻ってくるはずと

信ていたお父さんの涙でした。

 

 

勿論、

クリスティンさんの体験したような

ミラクルが催眠療法で全て起こるとは

限りません。

心に届く言葉と

その言葉を受け取る心が

そしてその心の声に呼応する体の

微妙な一致が必要です。

しかし、

人間が人間の心の強さを信じる時、

心が大きく開いて

智慧のある言葉を

受け入れる事ができる時、

そんなミラクルも十分あり得るということは

素敵な事だなあと思うのです。

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